スワン家のほうへ(6)

このように私の部屋の薄暗い冷気は、通りに照りつける太陽と呼応していたが、それは影 が光ゆえに生じるのに似て、太陽と同じように光り輝き、私の想像力に夏の全景をそっくり映し出してくれた。


スワン家のほうへ(5)

サン=チレール教会の鐘塔は、遠くからそれとわかり、コンブレーの町がまだ見えないうちから地平線上に忘れがたい姿を刻みつけていた。復活祭の週に私たちをパリから運んできた汽車の窓から見ていると、鐘塔が空に描かれた雲の畑をつぎつぎと越え、小さな鉄の風見鶏をくるくると四方八方に飛びまわらせる。

プルーストの世界を読む (岩波セミナーブックス 92)

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スワン家のほうへ(4)


それは、すぐそばの田園の匂いと同じで、いまだ確かに自然の、空色の匂いをとどめているとはいえ、すでに出不精な人に特有の匂いとなり、一年のありとあらゆる果物が手際よく処理され、透明で美味なゼリーとなり、果樹園から食料戸棚へと移った趣がある。季節の匂いとはいえ、すでに家具に染みこんで家の匂いとなり、肌をさす白い霜の寒さがほかほかのパンの温かさで和らげられた匂いであり、村の大時計のように、暇をもてあましているものの、きちんと時間を守る匂いである。



のらくらした、それでいて堅気の匂い、呑気でありながら、用意周到な匂い、リネン類の匂い、早起きで信心ぶかく、平穏で味気ないのを幸せと感じる匂いである。平穏といっても一抹の不安をもたらしてくれるし、味気ないといっても、そこで暮らしたことのない人には訪れるだけで汲めども尽くせぬ詩情をもたらしてくれる。その空気には、滋養に富む風味ゆたかな静寂の精華があふれていて、そこを歩むと、私としては否応なく食いしん坊の気分になる。とりわけ復活祭のころの朝は、いまだ肌寒く、コンブレーに着いたばかりの私にはその静寂がいっそう満喫できた。

スワン家のほうへ(3)

http://d.hatena.ne.jp/mii0625/20040812

そして家とともに、朝から晩にいたるすべての天候をともなう町があらわれ、昼食時にお使いにやらされた「広場」はもとより、私が買い物に出かけた通りという通り、天気がいいときにたどったさまざまな小道があらわれた。そして日本人の遊びで、それまで何なのか判然としなかった紙片が、陶器の鉢に充たした水に浸したとたん、伸び広がり、輪郭がはっきりし、色づき、ほかと区別され、確かにまぎれもない花や、家や、人物になるのと同じで、いまや私たちの庭やスワン氏の庭園のありとあらゆる花が、ヴィヴォンヌ川にうかぶ睡蓮が、村の善良な人たちとそのささやかな住まいが、教会が、コンブレー全体とその近郊が、すべて堅固な形をそなえ、町も庭も、私のティーカップからあらわれたのである。

スワン家のほうへ(2)


夜、家の前の大きなマロニエの下で、私たちが鉄製のテーブルを囲んで座っていると、庭のはずれから聞こえてくる呼び鈴が、溢れんばかりにけたたましく、鉄分をふくんだ、尽きることのない冷んやりする音をひびかせる場合、その降り注ぐ音をうるさがるのは「鳴らさずに」入ろうとしてうっかり作動させてしまった家人だとわかるのだが、それとは違って、チリン、チリンと二度、おずおずとした楕円形の黄金(きん)の音色が響くと、来客用の小さな鈴の音だとわかり、皆はすぐに「お客さんだ、いったいだれだろう」と顔を見合わせ、それでいてスワン氏でしかありえないのは百も承知なのだ。


スワン家のほうへ(1)


長いこと私は早めに寝む(やすむ)ことにしていた。ときにはロウソクを消すとすぐに目がふさがり、「眠るんだ」と思う間もないことがあった。ところが三十分もすると、眠らなくてはという思いに、はっと目が覚める。いまだ手にしているつもりの本は下におき、灯りを吹き消そうとする。じつは眠っているあいだも、さきに読んだことをたえず想いめぐらしていたようで、それがいささか特殊な形をとったらしい。つまり私自身が、本に語られていた教会とか、四重奏曲とか、フランソワ一世とカール五世の抗争とかになりかわっていたのである。


スワン家のほうへ


楽天に吸収合併される前の「ライコスダイアリー」というところで、2002年の2月からウェッブにログを書いてきた。

この過ぎ去った9年間を省みれば、なんといっても約一年以上を費やしてプルーストの小説「失われた時を求めて」の鈴木訳を読みながら、ブログを書いてきたことが心に残る第一のことであった。

来月から十年めを迎えるにあたって、古川訳の「失われた時を求めて」を精読してみようと思う。


失われた時を求めて 1 抄訳版 (集英社文庫)

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