岩波書店版「失われた時を求めて」

岩波から出版された吉川一義訳「失われた特を求めて」、第一篇「スワン家のほうへ1」、この一冊にぼくは魅了された。

訳文が他の三種類の翻訳に比べて最もすんなりと自分のなかに入ってくるのだ。

フランソワーズがこれほど生き生きしているとは…。

以前、吉川一義さんの「プルーストの世界を読む」を読んだときは、それほど惹きこまれはしなかったので、こんどの「スワン家のほうへ」もあまり期待しなかったのだが、その予想は良いほうへと外れた。

まるで「コンブレー」を初めて読んだ気にさせてくれる名訳と思う。

プルーストの世界を読む (岩波セミナーブックス 92)

プルーストの世界を読む (岩波セミナーブックス 92)

光文社に続いて岩波からも

2010年9月に光文社古典新訳文庫の一環として、高遠弘美さんの訳でマルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」第一篇「スワン家の方へ1」が出版された。

これで、現時点でわが国では

1)筑摩書房 井上究一郎

2)集英社 鈴木道彦訳

3)光文社 高遠弘美

の三種類の文庫本で、異なる翻訳の「失われた時を求めて」を愉しむことができる。

とここまで日記に書いて、アマゾンにリンクを貼ろうとしたら、な、なんと岩波書店からも新訳が出版されているではないか。

連続して二社から新訳が出るとは…。

失われた時を求めて〈1〉第一篇「スワン家のほうへ1」 (光文社古典新訳文庫)

失われた時を求めて〈1〉第一篇「スワン家のほうへ1」 (光文社古典新訳文庫)

第13回笹尾光彦展

mii06252010-10-10

笹尾光彦展が昨年http://d.hatena.ne.jp/mii0625/20091112に続いて今年も10月8日から20日まで渋谷の東急Bunkamuraギャラリーで開催されている。

笹尾さま御自ら2011年の卓上カレンダーを送ってくださった。

来年が世界にとって、日本にとって、笹尾さまにとって素晴らしい一年になりますようにと願いながら、一年12作品を眺める。

12ヶ月12枚いずれも美しいが、なかでもぼくは↓8月のこの作品が気に入った。

↓こちらはカレンダーの表紙と10月の絵。


パリの花屋さん。

パリの花屋さん。

みならいクノール

みならいクノール (わくわくライブラリー)

みならいクノール (わくわくライブラリー)

昨年の五月から六月にかけて受診なさっていらした田澤さんからご著書を送っていただいた。

講談社わくわくライブラリーの一冊で、田澤さんの絵本デビュー作だそうである。

さっそく一読。

絵といい内容といい、とてもデビュー作とは思えない完成度の高い、暖かさに溢れた作品だ。

田澤さんは声優もなさっておられる、才能豊かな方である。

これからも多方面での、さらなるご活躍を心からお祈りしたい。

プルースト・夢の方法

最近、また夢をみるようになった。みる夢のほとんどは大学に勤務していたころ、助手、講師時代の夢である。

今年の春、桜の咲く頃亡くなった母の夢をみることはほとんど無い。

プルーストの夢について深く考察した保苅瑞穂教授の『プルースト・夢の方法』を一日一章のペースで精読してみたいと、ふと思った。

プルースト・夢の方法

プルースト・夢の方法

以前、保苅先生の『プルースト・印象と暗喩』http://d.hatena.ne.jp/mii0625/20090530を読んだ時にもチラッと流し読みをしたことがあるのだが、全四章、章を読み進めば進む程、著者の集中力がたかまり、読む方の脳内密度を目一杯充実させないと理解出来ない、久しぶりに出会う充実した思索の書である。
今日は『夜の寝室ー序にかえて』を読んだ。
敢えて残りの四章は明日以降にとっておく。最終章にむかってこちらも脳内密度を高めていくよう努力しないと…。

二つのボエーム

のっぴきならない問題を抱えて他に何も考えられない状態に陥ってしまった。Sよ、君ならばこのことは良く解かってくれるだろう。
しかし、そうそう緊張状態を続けてばかりはいられない。

今日はコヴェントガーデン王立歌劇場で2008年に上演されたプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の映像を観ようと思って、あらかじめYouTubeに上梓されているかと思って、久しぶりにYouTubeで「la boheme」と検索したらアズナブールの「ラ・ボエーム」で二つの素晴らしい映像に出会えたのでそのことについてはてなに記そうと思う。第一の映像はAのこちらである。



まるでジョルジュ・ブラッサイの写真集「プルースト・写真」に出てくるようなパリの映像をバックにアズナブールの「ラ・ボエーム」が流れる。2010年の現在、このような映像作品がYouTubeにアップされてくること自体、なんて粋なのだろうか。いまや忘れつつある言葉の仲間に入りそうな「粋」「シック」という言葉そのものに満ち溢れた映像だ。
けれど二番目にBを観てさらに感激したのだった。


↑この荻須高徳画伯の銅版画はぼくの携帯の待受け画面に貼り付けている。



Aが1950年代の昔懐かしいパリの映像だとすればBは2010年という現在の視点でアズナブールの「ラ・ボエーム」を活き活きと映像に捕らえている。変わるパリと変わらぬパリ。時の過ぎ行くままに「ラ・ボエーム」をフレッシュに、シックに映している。

素晴らしい秋の到来を予感させるニ作品だった。

プルースト/写真

プルースト/写真