楽譜に書かれている音符をいかに翻訳して音化するか、楽譜を指揮し演奏するという作業は、外国文学を翻訳する作業と、ある点、とても似ていると思う。

昔、ベートーヴェンの「田園」を聴き比べるという作業を夢中になって行ったことがある。そして最後に得た結論は、聴き比べた指揮者の演奏の、そのどれもがその指揮者の感じた各々のベートーヴェンの「田園」だった、ということだ。好き嫌いは聴き手が勝手に決めれば良い。

ぼくがプルーストの小説「失われた時を求めて」を読むようになった切っ掛けは新書の「プルーストを読む」を読んだからだ。

プルーストを読む―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

プルーストを読む―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

ぼくはこの新書を読んだが、全然理解出来なかった。そしてこの新書を理解しようと思い立ち、抄訳版「失われた時を求めて
抄訳版 失われた時を求めて 1 (集英社文庫)

抄訳版 失われた時を求めて 1 (集英社文庫)

を読み、その読書日記をさるさる日記に書いてきた。途中からすごく夢中になって、全訳版
失われた時を求めて(1) 第1篇 スワン家の方へ 1

失われた時を求めて(1) 第1篇 スワン家の方へ 1

も読みながら抄訳版の感想日記を書き続けた。そして昨年の夏に読み終えたが、読み終えた後、新書「失われた時を求めてを読む」を完全に理解することが出来たと思った。

新書を読んでそこに書いてあることを理解するということがどれほど大変なことかが良く分かった。

ワーグナーのオペラ*1トリスタンとイゾルデ」の第一幕はアイルランドの王妃イゾルデ姫がイングランド王のもとへ嫁ぐために海を渡ってコーンウオールへ向かう船に乗船しているシーンから始まる。イゾルデ姫のバックボーンとして、ケルトelt 、あるいはアイルランド特有のドルイド教や魔術や毒薬等、ケルトの歴史を知れば知るほど、この「トリスタンとイゾルデ」第一幕の聴き方も深まっていくだろう、と思って興味を持ったのがアイルランドであり、その首都ダブリンだ。

短編集「ダブリン市民」は学生の頃、読み飛ばした記憶があるが長編小説「ユリシーズ」は読んだことがない。「ユリシーズ」を読み、ケルト民族 the Celts に関する本を少しずつ読めばワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」への理解も深まるかも知れない。

これがジェイムズ・ジョイスの小説「ユリシーズ」を読み始める理由です。

*1:本人は楽劇 music drama と言っている。