木よ…-2

パリに帰った語り手を待ち受けていたものは、数々のパーティーの招待状であった。まだ語り手は完全に忘れられた存在にはなってはいなかった。
なかでも大事な二通の招待状のうちの一つはゲルマント大公邸で明日の午後開催される、午後の集い(マチネ)への招待状であった。
自分には文学的才能が欠如している、あるいは文学は空しく偽りのものにすぎない、というこの二つの想念から逃れるためではなくて、その「ゲルマント」という名前に惹かれてゲルマント邸のマチネに出かけることにするのだった。かつてコンブレーの時に、数々の夢と憧れを語り手の心に引き起こしてくれたゲルマントという言葉の響きに魅せられて、マチネに出席しようと思うのだった。
翌日、シャンゼリゼで車を停め、少し散歩をしようとする語り手の目に飛び込んできたのは、ジュピアンに助けられながら、同じように車から降りてくるシャルリュス男爵の姿だった。男爵はすっかり白髪になり、脳卒中に襲われ、一時は視力もまったく失ったのだったが、いくらか回復はしたけれど、昔の面影はもうどこにもない。
語り手はシャルリュス男爵としばらく話をするが、はじめは男爵の言うことがさっぱり聞きとれない。そのうち、少しずつ、男爵が死んだ友人達の名を数えあげていることが分かる。
昔の倣岸なところを失ったシャルリュス男爵は、老いたリヤ王のようだ、と語り手は思うのだった。
■時を超えて-1
いよいよゲルマント大公夫人の午後の集い(マチネ)に出席するために、ゲルマント大公邸に向かいながら、自分には文学的才能が欠如しているのではないか、或いは文学そのものが自分が思っているほどのものではないのではないか、と物思いに耽(ふけ)りながらトボトボ歩く語り手のうしろから、自動車の警笛(クラクシオン)が鳴った。
思わず、かなりでこぼこのある敷石に躓(つまづ)いて、身を立て直そうとして、前の敷石よりもやや低い敷石に片足を乗せた時、語り手を襲ったのは“幸福感”だった。
ちょうどあのマドレーヌを味わった時と同じように、未来に関するいっさいの不安、いっさいの知的な疑惑は、一掃された。
語り手を悩ませていた、あるいは落ちこませていた不安は、敷石でこけちゃった途端に、まるで魔法にかかったようにすっかり消えてなくなっていたのである。
語り手の心を捕らえて明るくさせてくれたのは、こけた敷石が語り手にヴェネツィアの深い青空と爽やかさと、くらくらする光の印象を思い出させてくれたからだった。
ゲルマント大公邸の歩道で味わった感覚はヴェネツィアサン・マルコ寺院の洗礼堂にある二つの不揃いなタイルの上で、こけちゃった感覚と同一のものだったのである。