ある秋の夜、40才の男は21才の女性と運命の出会いをする
小澤征爾さんが就任したウイーン国立歌劇場の音楽監督であったマーラーは40才の秋に、あるパーティで21才の蠱惑(こわく)的な美女、アルマ・シンドラーと出会い、ひとめ惚れして恋におちる。
この時マーラーは急遽、作曲中だった交響曲第五番に無理やり『音のラブレター』を作曲し第四楽章として挿入するが、これが近年、<アダージョカラヤン>の第一曲目として使用されたり、ビスコンティの映画<ベニスに死す>に使用されたりして、やたら有名になった<アダージェット>である。
秋に出会い、翌年の春にマーラーとアルマは結婚する。しかしその後の二人の愛情生活はまさに波瀾万丈であった。
■芸術家になるべきか?芸術家の妻になるべきか?

アルマ・マーラー―ウィーン式恋愛術 (女たちの世紀末、女たちの20世紀)

アルマ・マーラー―ウィーン式恋愛術 (女たちの世紀末、女たちの20世紀)

フランソワーズ・ジルー著、山口昌子訳『アルマ・マーラー ウィーン式恋愛術』河出書房新社刊を読む。
帯に<芸術家になるべきか?芸術家の妻になるべきか?>とある。たしかにアルマはマーラーとの結婚前は画家クリムトと熱愛し、結婚後は建築家グロピウスと深い仲となり心臓を病んでいたマーラーを多いに悩ます。マーラーの死後は画家ココシュカと建築家グロピウスとの三角関係に陥る…
こんなことを書いていたらきりが無いくらいアルマの恋愛関係は多い。ま、僕の読後感はアルマも間違いなく激動の時代、1900年代前半を生き抜いた女性だ、ということだ。彼女は1965年85才でロスアンジェルスにて死去する。
■今はもう秋、誰もいない海…
マーラーとアルマの結婚生活は最初の数年は概ね平穏に過ぎていったが、結婚五年目の1907年になると、一変する。五月にウイーン国立歌劇場の音楽監督を辞任、7月には長女が病死、マーラー自身も心臓病が悪化する。
でも、そうそう悪いことばかりでもない。年末には家族で渡米し、翌1908年にはメトロポリタン歌劇場で<トリスタンとイゾルデ>を指揮、その後も数回渡米し、サボイホテルに逗留、アメリカ生活を楽しむ。
が、1910年に湯治先のヨーロッパで、31才のアルマは25才の新進気鋭の建築家ワルター・グロピウスと出会い、激しい恋におちる。アルマのマーラーへの愛は戻らぬまま、翌1911年、マーラーは51才の生涯を終える。
誰もいなくなった秋のヨーロッパの海岸をマーラーはどんな気持ちで一人、歩いていたのだろう?寄せては返す波の音は彼の心に何を運んでいたのだろう?