矢内原伊作さんの著書『ジャコメッティとともに』は「我が青春の書」であるが、彼の『サルトル』中公文庫124を読んだのは昨年の秋のことだった。矢内原さんほそのなかで、実存主義と芸術について、このうように語っている。
『今日の機械文明とマス・コムュニケーションは芸術家を孤立させ、芸術の個性的な創造をきわめて困難なものにしながら、反面、そのお同じ機械文明とマス・コムニケーションによって芸術を大衆に結びつける。レコード、テレビ、映画、複製印刷、これらは芸術を通俗化するが、同時に、芸術に対する大衆の渇望をみたす働きをしているのだ。
神は死んだが神の必要は残っているのであり、その必要を芸術がかろうじてみたしているのである。芸術は神ではないが、知られざる神にわれわれを導く仲介者であり、永遠的なものの象徴であり、人間を超えた何かしら崇高なもの、人間をささえる何かしら深いものがそこからひらけてくる窓である。
芸術家は使徒あるいは殉教者であり、美術館と演奏会場は現代人の礼拝の場所だ。人々はそこで敬虔になり、罪を浄められ、気高いものに触れる。』