「ジェントルマンの極意」

mii06252010-06-27

6月23日水曜日の夕刻、S先生と約一年ぶりにお会いし、スペイン料理をご馳走になった。

2010年は母の死を予感し、新年早々から精神的に緊張していたのだろう。ベートーヴェンのナイン・シンフォニーを改めて聴き直すという作業を行っていた。

母は3月に亡くなり、ベートーヴェンの第九番「合唱」の第三楽章のメロディを心の中で詠いながら母の墓前で「合掌」するという、ベートーヴェンのナイン・シンフォニーを聴き直すという行為の途中から心の中に浮かんだ親父ギャグを実践することが出来た。

ところが翌4月、母の死から一ヶ月経つか経たないかのうちに、恩師N教授の奥様が世を去ってしまわれた。

N教授の奥様はやはり皮膚科医で、北京で行われた日中皮膚科学会で長期間ご一緒したり、教授宅で毎年行われた新年会でお好きな映画やご旅行のことなど色々お話し、親しくしていただいていただけに、教授の奥様の死は母の死に重くかさなって、ぼくの「喪失感」をとても強くしたと思う。

ベートーヴェンのナイン・シンフォニーが依然としてぼくの心に鳴り続ける日々が続いた。

けれどもようやく、6月となり緊張が徐々に解れて来たときのS先生との再会であった。会食の時間はあっという間に過ぎ、別れ際にS先生は『今年の春に三笠宮寛仁殿下と対談した本が出版されましたから読んで下さい』と仰った。

で、例のアマゾン書店の翌日配達サービスを利用して購入、一読し、まるで自分が10代〜20代に帰ったような気分になり、ようやく、母の死を、そして教授の奥様の死を自分の心のなかの引き出しのあるべき位置にしまうことが出来たような気持ちになった。

2010年は初頭から6月初めまでは、やはり、「我が心は石にあらず」との思いが強い日々を過ごしたのであろう。

(水)にS先生とお会いし、(木)〜(金)に寛仁親王のご著書を読んで、(土)に聴きたくなった曲はベートーヴェンではなかった。

1Q84」で話題を呼んだ村上春樹さんはぼくと同い年である。彼は早稲田大学を卒業してから千駄ヶ谷でジャズ喫茶を営んでいたが、ぼくも中学・高校から大学卒業までジャズばかり聴いていた。

2010年6月26日の深夜に突然聴きたくなって、聴いて、心に沁みた曲はジャズである。ハードバップでもなければモダンやアヴァンギャルドでもない。単なるジャズの小唄だ。

ぼくは↑この曲のテンポ、リズム、そして声の暖かさを大切にして日々を過ごしていきたい、と思った。

今ベールを脱ぐ ジェントルマンの極意

今ベールを脱ぐ ジェントルマンの極意