望月市恵さんの「あとがき」

30数年前に初めて読んだ時と「ブッデンブローク家の人びと」の後書はひとつも変わっていない。そして、その後書は30数年のときを超えて、ぼくの心を強く打つた。訳者の望月市恵さんは旧制松本高校のドイツ語教授で、辻邦生さん、北杜夫さんにドイツ語を教えていたのだった。

「個々の人間にとっては、さまざまな個人的な目標、目的、希望、将来が眼前にあって、

そこから飛躍や活動の原動力を汲み取ることも出来るだろう。

しかし、まわりの超個人的なもの、つまり、時代そのものが、

外見はいかに目まぐるしく動いていても、内部にあらゆる希望と将来を欠いていて、

希望も将来もない途方に暮れた内情をひそかにあらわし、

わたしたちが意識的にか無意識的にか、とにかくどういう形かで時代に向けている質問

ーわたしたちのすべての努力と活動の究極的な超個人的な絶対的な意味についての問いに対して、

時代がうつろな沈黙を続けているだけだとしたら、

そういう事態による麻痺的な影響は、

ことに問いをしている人間がまじめな人間である場合には、

ほとんど避けられないであろう。」

そして、と望月教授は続けておられる。
「まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔のなかからも、いつか愛が誕生するのだろうか?」と。