トーマス・マンの「ブッデンブロークス」が岩波書店の2005年夏の30点・35冊/一括重版で久々に書店の店頭に並ぶようになった。

訳者の望月一恵さんの「解説」は初めて読んだときと同じようにぼくの心に響いた。

トーマス・マンが「魔の山」のなかで、

「個々の人間にとっては、さまざまな個人的目標、目的、希望、将来が眼前にあって、そこから飛躍や活動の原動力を汲みとることもできよう。しかし、まわりの超個人的なもの、つまり、時代そのものが、外見はいかに目まぐるしく動いていても、内部にあらゆる希望と将来を欠いていて、希望も将来もない途方に暮れた内情をひそかにあらわし、私たちが意識的にか無意識的にか、とにかくどういう形かで時代に向けている質問---私たちのすべての努力と活動の究極的な超個人的な絶対的な意味についての問い---に対して、時代がうつろな沈黙をつづけているだけだとしたら、そういう事態による麻痺的な影響は、ことに問いをしている人間がまじめな人間である場合には、ほとんど避けられないであろう。」

と言っていることは、二十年後の今日の社会でも、少しも変わっていないのではないだろうか。

トーマス・マンは、「魔の山」の最後で
「まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックの焔のなかからも、いつか愛が誕生するだろうか?」
と言っている。

魔の山〈下〉 (岩波文庫)

魔の山〈下〉 (岩波文庫)