偲ぶ会

一気呵成に交響曲第二番を完成したブラームスは翌1878年45歳の時、「バイオリン協奏曲」を、1881年48歳のときには「ピアノ協奏曲第二番」を、さらには1883年50歳の時に「交響曲第三番」を書き、1885年52歳のときに「交響曲第四番」を完成させる。こうして傑作を次々に完成したブラームスだったが、交響曲第四番を最後に、それ以降大曲を作曲することはなかった。

ヨーゼフ・カイルベルトバンベルク交響楽団を率いて唯一度来日した。このCDはそのときの記録。海賊版が出回るほどの名演だった。


そしてブラームス63歳の時、14歳年上の愛するクララ・シューマンが帰らぬ人となった。その「クララを偲ぶ会」で、自ら作曲した「バイオリンソナタ第一番・雨の歌」のピアノ・パートを弾き始めた彼はクララへの想いで胸がいっぱいになり、急に中庭に飛び出して号泣したという。そして心配して駆け寄ってきた友人に「ぼくがほんとうに愛したただ一人の人間を失った」と言ったという。

ブラームスはこの愛するクララの死を見取って一年足らずのうちに亡くなった。享年64歳だった。

ブラームス:作品集

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