日本でなぜ、年末に第九が演奏されるようになったか、はhttp://d.hatena.ne.jp/mii0625/20041011を見ていただくとして、昨日の日記に書いたように、なぜ第二次世界大戦後初めてワーグナーの“リング”がイタリアはミラノのスカラ座という、いわば“イタ・オペの聖地”でゲルマン民族の血滾(たぎ)るオペラがゲルマン魂の代表選手みたいな指揮者フルトヴェングラーの指揮によって上演されたのか?なぜワーグナーバイロイト祝祭歌劇場で上演されなかったのか?
バイロイト祝祭歌劇場はアメリカ軍のダンスホールになっていたからである。
こうるさい姑(しゅうとめ)コジマ・ワーグナーと28歳年上の愛する夫ジークフリートの相次ぐ死(http://d.hatena.ne.jp/mii0625/20040112)によって経営がヤバくなってきたバイロイトを守るためかどうかは定かではないが、ヴィニフレッド・ワーグナーヒットラーの異常な大接近もあって、敗戦国であるドイツ国内での上演よりも、同じ同盟国だったイタリアのオペラハウスで演るほうが容易だったからではないだろうか?
バイロイト祝祭歌劇場が第二次世界大戦後初めて再開されたのはフルトヴェングラーミラノ・スカラ座での“リング”上演の翌年、1951年からだった。
そして2004年11月の現在でも、このバイロイト再開時のフルトヴェングラーの第九が史上最高の第九の名演の記録とされている。