仮装パーティ

給仕頭がやってきて、最初の曲が終わりましたので、図書室からお出になってサロンに入られても結構です、と語り手に告げたので、サロンに向かう語り手だったが、なおも無意思的記憶(レミニッセンス)のことを考え、このレミニッセンスの数が一番多くて巧みなのはやっぱ、ボードレールだなァとか思ったりするのだった。
サロンで出会う人々は仮装していた、時の経過による“老い”という仮装を。
ただオデットだけは相変わらず美しかったが、いまではゲルマント公爵の愛人となっていた。
また幼友達のブロックはユダヤ人と直ぐに気付かれないように、ジャック・デュ・ロジエと改名し、すっかりイギリス紳士風のシックな仕草を身につけて、有名な作家になっていた。
一方、あのヴェルデュラン夫人は夫の死後、デュラス公爵夫人となり、その公爵の死後、ゲルマント大公夫人となっていた。
■一冊の書物
ゲルマント大公邸の午後の集い(マチネ)で語り手は初恋の女性ジルベルト、スワンとオデットの一人娘のジルベルトが年の頃十六歳くらいの若い女の子を連れてくるのを見てすっかりビックリするのだった。
無色で捕らえることの出来ない“時”、それをいわば語り手がこの目で見たり、それに触れたり出来るようにと、“時”は女の子の姿で自分を実現し、一つの傑作のように女の子を作りあげたのだ。
少女は戦死したサン=ルーの面影を宿していた。
彼女はとても美しかった。
まだ希望に満ち溢れており、いかにも明るい笑みを浮かべ、、失ってしまった“時”そのもので作られたサン=ルーとジルベルトの作品は、私の青春に似ていると思う語り手だった。
結局のところ、この“時”の観念は語り手にこう語るのだった、『ゲルマントの方(ほう)などこの人生が生きるに値するものだと思わせたもの、そのようなものに到達したいと望むのなら、今こそ小説を書き始めるべきだ』と。
語り手が書く小説はコンブレーの眼鏡屋がお客に差し出す拡大鏡のようなものになるであろう。
語り手の書く小説を読む読者はそこに自分を見出すことになるであろう。
しかし、小説を書き終える時間が自分に残されているのだろうかと不安になる語り手だった。