ヴェネツィアにてー忘却の法則-2

母とともに、念願のヴェネチアへの旅を実現し、ゴンドラに乗ったり、散歩をしたりしてヴェネチア滞在を楽しんでいた語り手だったが、ある晩、思いがけない事態が起こって、アルベルチーヌへの愛がよみがえったかのように思われた。
それは、電報局員が、不在がちの語り手に対して、三度目に配達してくれて、初めて受け取ることの出来た電報で、電報はアルベルチーヌからのものだった。
「親シイ友ヨ、ワタシガ死ンダトオ思イデショウ。許シテクダサイ。ワタシハトテモ元気デス。オ会イシテ、結婚ノ話ヲシタイデス。イツオ帰リデスカ?心ヲコメテ。アルベルチーヌ。」
ん?
アルベルチーヌが心のなかでもう生きてはいない語り手にとって、アルベルチーヌが生きているという電報は、意外にも語り手にとって喜びをもたらすことはなかったのだ。
まるで、数か月の病気のあとで、鏡をのぞきこんだ人が、白髪で急に老け顔になった自分を見出して、「以前の自分、あの黒髪のふさふさとした若者は、もう存在していない、自分はもう別人だ」と思うように、今さらながら、アルベルチーヌが心のなかで死んだことに気付く語り手だった。
ヴェネツィアにてー忘却の法則-3
カーナビはヴェネチアにあっては何の役にも立たない。街中を一台の車も走っていないからである。車が走ることが出来ない街、それがヴェネチアだ。
ヴェネチア交通機関はあのゴンドラだった。
夜になると、誘われるようにヴェネチアの街を散策する語り手だったが、ミシュランを片手に、間違えないようにいくら注意しても、必ずミシュランには載っていない路地(カリ)から小広場(ピアツェッタ)、広場(カンポ)に出てしまうのだった。
そしてヴェネチアの美術館、教会から足を延ばしてパドヴァの美術館に行くこともあった。
そんな語り手親子にも遂にヴェネチアを後(あと)にする日がきた。しかし、ホテルの予約客リストにピュトビュス男爵夫人御一行という文字を見た途端、ヴェネチアの春に興奮した語り手は、僕は残るとダダを捏ね、母は一人で駅に向かう。残った語り手の頭の中にあの「オー・ソレ・ミオ」が舞い始め、ついにヴェネチア滞在が終わったことを悟った語り手は、母親の乗っている、発車寸前の汽車に飛び乗るのだった。
汽車に乗ると語り手は、先ほど受け取った一枚の手紙を開封するのだったが、それは初恋の女性、あのスワンさんの一人娘、ジルベルトからのもので、「どうして私の電報を無視するの?」と書かれていた。
ん?
あの電報はジルベルトからの電報で、ジルベルトをアルベルチーヌと読み間違いhttp://d.hatena.ne.jp/mii0625/20040918していたのか!