遥かなノートルダム

知性とは高められるべきものであり、感性とは磨かれるべきものではないだろうか?
ほぼ一年間にわたってマルセル・プルーストの小説、「失われた時を求めて」を読んできて、そう感じる。
知性に裏打ちされた感性と、感性が支える知性とが織り成す世界を、小説「失われた時を求めて」は僕に啓示してくれたのだと思う。
昨夜、辻さんのプルースト論・小説論を再読したが、辻さんとの出会いは「安土往還記」である。そしてこんな素晴らしい小説が捧げられている森有正っていう人はどんな人なのだろうと思いながら読んだのが、森有正さんの「遥かなノートルダム」であった。
爾来僕にとって森有正さんは森先生で、辻邦生さんは辻さんとなった。
しかし、僕は待ってましたとばかりに全集を買うほどの、それ程の辻フリークとはいえないと思う。世評高い「背教者ユリアヌス」を最後まで感動を伴って読むことが出来なかったのだ。
失われた時を求めて」の翻訳をなさった鈴木道彦さんは昨年、『「失われた時を求めて」を読む』を読んで初めて知った。しかし今、「失われた時」を読み終わろうとする時、鈴木さんはまさに僕にとって、鈴木道彦教授と呼ぶ存在となった。