筋金入りのホモの続き

残念ながら、『筋金入りのホモの続き、知りたいです!』というメモは貰えなかった、一通も。でもなぜか続きを書いてしまう僕。
晴れて相田翔子さん似の美女と離婚出来たチャイコはルンルンで、モスクワ音楽院の放課後の教室でいけめんの青年と愛し合っているところを見られてしまい、ついに音楽院教授を辞職せざるを得なくなる。そんなチャイコに救いの手を差し伸べたのはロシアの鉄道王の未亡人だった。彼女は以降14年間の長きにわたって莫大な金額をチャイコフスキーに援助し続けた。ただし、チャイコは筋金入りのホモである、この14年間、同じモスクワに住みながら二人は顔を会わせることはなく、二人の交流はメル友に限られていた。チャイコが送信したメール760通、未亡人が送信したのは451通。
1893年チャイコフスキー53歳。6月、ケンブリッジ大学から音楽名誉博士号を贈られる、10月28日交響曲第六番「悲愴」、チャイコフスキー自身の指揮により初演、11月6日、死亡。
死因は有力貴族の息子に手を出したために貴族の怒りをかい、強いられた自殺説、わざとなま水を飲んでコレラを発病し、コレラで死亡した病死説などがある。
相田翔子さん似の美しい元の妻は、その後身を持ち崩し、売春を続け、精神病院に入れられたそうだ。