甘い生活

id:tougyouさんの日記http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20060220で知って、心待ちにしていたフェデリコ・フェリーニ監督の映画「甘い生活」を観た。ぼくはこの映画を昨夜、生まれて初めて観た。

日本で初上映されたとき、ぼくはまだ小学生だった。小学生に「甘い生活」は早すぎたのだろう。親に連れていってもらうことは適わなかった。

ぼくが映画をよく観るようになったのは15歳のころからだ。第一学期の期末試験の終わったその日に、東銀座の「松竹セントラル」という映画館でショーン・コネリー主演の「007は殺しの番号」という映画を観たのだが、映画館のひとが入り口で「殺しのライセンス」というノベルティカードをおふざけに配っていて、それをもらったことを覚えている。

昨夜観た映画「甘い生活」だが、ストーリーを略述することが出来ない、まさに映画で観るしかない、映画らしい映画だと思ったが、こんな映画を10代の初めに観ても分かるはずがない。いまの年齢になっても、昨夜一回観ただけでは、理解度30%程度だと思ったくらいだから…。

それにしても「甘い生活」という題名から、「甘い」→「うまい」→「おいしい」と気づくまでに20年以上かかるとは!

ほぼ日刊イトイ新聞http://www.1101.com/index0.html糸井重里さんの名コピー、「おいしい生活http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E4%BA%95%E9%87%8D%E9%87%8Cが誕生したのは、映画「甘い生活」が公開されてから20年以上、後(のち)のことだった。

映画「甘い生活」を観て、もう一つ気づいたことは、「遊女」(コルティジャーナ cortigiana )の存在である。遊女は「娼婦」(プロスティテュータ prosutituta )とは違う。コルティジャーナのことを良く理解しておかないと、この映画「甘い生活」は拙いと思った。コルティジャーナを理解するためには塩野七生さんの「三つの都の物語」が最適だろう。

それにしても日本は、その最盛期を過ぎて、“優雅な衰退期”に入ったのだろうか。

銀色のフィレンツェ―メディチ家殺人事件 (朝日文芸文庫)

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