昨夜、三宅幸夫さんの以下の文章を読んで、そのあまりにも核心を衝いた表現に、ただただ驚嘆している。
三宅さんは言う、
『…。その頃*1カルロス・クライバーは隙間の多い構造のオペラ(たとえば「魔弾の射手」)を緊張の糸が張り詰めた音楽に仕立て上げる能力にはたけていたが、「トリスタンとイゾルデ」のような密な構造をもつ作品では、逆に息が抜けず、緊張の糸が途切れてしまうことがあったのである。』
いままで自分が直感的に感じてはいたが、獏としていた想いを、こうして明瞭な表現で言葉として記述されている文章として読むと、あらためて、漠然とした直感が明確になって、霧が晴れたようになって、なぜかカルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデhttp://d.hatena.ne.jp/mii0625/20040109をもう一度、聴きなおしてみたくなってしまうのだった。

*1:1975年のバイロイト