ママンに寄せる語り手の想い

語り手のママンに対する感情は「愛情」という言葉で表現されるけれど、そこには幼子が母を慕うといったほんのり暖かい気持ちをはるかに越えた複雑なものを感じます。
語り手は、母がおやすみの接吻をするために上がってくるのを今か今かと、待っている反面、その甘美な時間があまりにも短く過ぎ去ったあとの苦悩を考えるあまり、できるだけ遅く母が上がってくることを祈ったりする。
この自虐的ともいえる感情。また、その一瞬の時間に感覚を集中させることができるように、夕方の晩餐までに、まえもって頬のキスする場所を選ぶためにママンを眼で追い続ける執着心。さらには、同じ時間を自分と離れた空間(食堂)でママンが味わう快楽に対する嫉妬心。
当時、ママンとの大切な時間を邪魔する最大の敵とも思えたスワンが、後に語り手と同様の苦悩を恋によって味わった唯一語り手の苦悩を理解できる人物となる。
さらに、複雑な語り手の気持ちは、父の突然の許可によって得られたママンとの一夜の描写に如実に表れている。
そのとき語り手が味わったものは、ママンが一緒にいてくれることに対する喜びや、自分の捨て身ともいえる行動に対する満足感ではなく、譲歩した母への、敗北した母への同情であり、母を傷つけた罪悪感でもある。
母の側にも、いろいろな思いがあったことが伺える。理想的な子育ての名の下に、息子への思いを隠していたのかもしれない。
『フランソワ・ル・シャンピ』を読むときに恋愛描写を読み飛ばしたのは、ママンの都合によるものだけれど、語り手が受け取っていたものは、物語の中身ではなく、母の声によって生み出される官能の世界だったのでしょうね。
さらに、「この夜は新たな時代の始まりで、悲しい日付として残るだろう。」という記述や、「私はまるで、親不孝な秘密の手でもって母の魂に最初の皺をつけたかのような、そこに最初の一本の白髪を生えさせたような思いだった。」というあたりは、母を傷つけたのではないかという語り手の後悔が深く表れている。
でも、母の肉声で語られる散文を聞いているうちに語り手の後悔は鎮まり、語り手は側にいてもらえる嬉しさに身を委ねてしまう。
しかしながら、結局、やがては同じ苦悩は繰り返されることになる。
この甘美なひとときは、次に来る苦悩を和らげるてくれるような錯覚をもたらすけれど、苦悩に耐えるだけの力を与えてくれることはないことを語り手は思い知るのですよね。