散文を読む母

ジョルジュ・サンドの散文を読む母は、力強く打ち寄せる波をさえぎるようないっさいの偏狭と気取りを注意深く自分の声から追放して、まるで自分の声のために書かれたような文章、いわば母のような感受性の声域にすっぽり収まってしまう文章に、求められている自然の愛情や豊かなやさしさを余すところなくこめるのであった。母は、ふさわしい調子でそれらの文章に挑戦するために、文章以前に存在していてこの文章を作者に書かせた心のアクセント、だが言葉自体によっては示されていないアクセントを、ふたたび見つけ出す。そのアクセントによって、朗読の途中に出てくる動詞の時制の生々しさをみな和げ、半過去と定過去には心のやさしさのなかに宿る甘美さ、愛情のなかにある憂愁(メランコリー)を与え、終わりの章句を次に始まる章句の方に導き、シラブルの数こそちがえ、同形のリズムのなかにこれを押しこめるために、シラブルの歩みを速めたり遅めたりするのである。こうして母は、およそ平凡なこの散文に、どこまでもつづくいとしい思いのこもった一種の生命を吹きこんだのであった。