その後のワーグナー
いかにも彼らしく、大不倫の末、無事入籍を果たして正妻となった愛妻コージマの誕生日を自作曲の自宅での生演奏という離れ業で祝ったワーグナーは、その後約十年間生きた。
バイロイト祝祭劇場でのみ上演が許されるということを宣伝文句にした楽劇『パルジファル』を完成、第二回バイロイト音楽祭で成功裡のうちに初演を終えた彼は、その冬(1882年)を大好きなベニス、ベンドラミン館(現存)で過ごす。もちろんお父さん(義理の)である、ラ・カンパネラの作曲者、リストも一緒だった。
年が明け、二月十三日、この日ワーグナーは愛妻コージマの目を盗んで、『パルジファル』に出演予定の若いソプラノの美人歌手と書斎でイチャイチャ、イチャイチャしている時、心臓発作に見舞われ、その69年の生涯を終えたのだった。
そして語り手もアルベルチーヌとの別離の傷を癒すためにべニスへと赴くのだった。