別れの曲

ショパンは故国ポーランドを後にして、21歳のとき、芸術の都パリへと渡る。
ショパンが楽譜屋で主人と話をしていると、突然、自分の曲『ポロネーズ』が流れてくる。たまたま同時に楽譜屋に居合わせたリストがショパンの楽譜を見て、弾き始めたのだ。
ショパンはリストのあまりの巧さに驚き、自分も楽譜屋のもう一台のピアノに向かい、英雄ポロネーズを弾き始める。リストとショパンの連弾によって楽曲はさらに輝きを増す……。
映画『別れの曲』(1934)のハイライトシーン(西村雄一郎著『孤高の芸術家』徳間書店刊)。
こうしてショパンはリストの知己を得てリストの愛人マリー・ダグー伯爵夫人の夜会でジョルジュ・サンドと出会い、恋におちる。
リストとジョルジュ・サンドの尽力でパリ・デビューを果たしたショパンは大成功をおさめる。
ちょうどその頃、故国ポーランドから恋人がショパンを迎えに来る。熟慮の末、パリに残る決意をしたショパンは迎えにきた恋人が一人寂しく帰国する際に、心をこめて練習曲第三番を弾くのだった。
これは映画『別れの曲』のお話だ。でもこの映画以来、練習曲第三番は『別れの曲』と呼ばれるようになった。