2011年3月11日の地震について

午後3時からの診療に備えて、いつものように準備をしていた時にそれは起こった。

いままでに経験したことのない大きな揺れと長く続く激しさに驚愕しながらも、診療開始時間にはすっかりおさまり、定刻の3時少し前からいつもどおり診療開始。一時間ほどで患者さんが途切れて、それからはぽつりぽつりとおみえになる方々を診ながら、不安感に襲われるも、診療終了の午後7時まで、津波による大惨事も、原発事故も全く知らなかった自己の想像力の無さ、不明さに恥じ入るばかりである。

その後は、水も食餌も灯りも無く、暖房も無く、家も失った人々の存在のまえに、平穏な気持ちでいられるはずもなく、読書も、音楽を聴くことも出来ず、ただただ暗澹とした想いに襲われる毎日だった。

少し我が心に余裕が生まれてきたのは、大災害から7日を経過した18日の金曜日頃からである。

21日の春分の日に、漸く「失われた時を求めて」を少し読めるようになったのだった。

これから少しづつ平常心に戻ってゆければ、と思った。